司馬遷の史記を読んだ

司馬遷史記を漫画で読んだんだけどめちゃくちゃ良かったのでいろいろ書きます

 

司馬遷Wikipediaによると

司馬遷(しばせん、紀元前145/135年? – 紀元前87/86年?)は、中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。
姓は司馬。名は遷、字は子長。

周代の記録係である司馬氏の子孫で、太史令の司馬談を父に持つ。

太初暦の制定や、通史『史記』の執筆などの業績がある。

司馬遷 - Wikipedia

 

大体2100年前?くらいの時代の歴史家、執筆家です

 

まあ今の今まで誰だかは知らなかったのですが、とても有名な方なようですね

 

その人の著書?である史記は、またまたWikipediaによると

史記』(しき)は、中国前漢武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。

正史の第一に数えられる。二十四史のひとつ。計52万6千5百字。

著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。
「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢武帝までである。

このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。

二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。
日本でも古くから読まれており、元号の出典として12回採用されている。 

史記 - Wikipedia

 

なんというかですね、正直はっきりとはわかっていないのですが、春秋戦国時代を中心に物語が展開されているので、多分その次代の話だと考えられます。

 

 

 今をときめく、孫子孔子を始め多くの有名な方々が出てくる本なのですが、その中でも面白かったシーンを4つ上げたいと思います。

 

 

 

 

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1つ目

無知の知はよく聞く言葉だと思うのですが、その無知という事実を知らないと言うのはなかなか難しいもんだな、と思いました

所謂知ったかぶりってやつですね

できてないことは反省せないかん

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次、これぐさぐさ来る人も多いのではないでしょうか

というか大半の人はグサグサ来ると思います

来ました

これ自体が意味するのが、女を好むように書を好め

ということなのか、

はたまた女を好むように書を好めないのだから女をむやみやたらに好んではいけないということなのか、

正直わからなかったのですが

多分後者だと思います

愛欲に溺れてはいけないと

 

そうだぞ

 

 

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こんなん当たり前じゃんと思うじゃないですか

できてない人多いと思います

俺はできてない

 

これはすごく大事なことなので肝に銘じておきます

 

 

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最後ですね

これは今でも使われる臥薪嘗胆の出自となっている話です。

以下Wikipediaの由来の部分を書きます。

 

史記』によると、紀元前6世紀末、呉王闔閭は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。

闔閭は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。

夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪の上で寝ることの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』には存在せず、『十八史略』で付け加わっている)。
まもなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。

勾践は部下の進言に従って降伏した。

勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねたが、許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。

その間、強大化したことに奢った呉王夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた上、先代の闔閭以来尽くしてきた重臣の伍子胥を処刑するなどした。

ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍を大破した。

夫差は降伏しようとしたが、勾践が条件として王への復帰を認めなかったために自殺した。 

臥薪嘗胆 - Wikipedia

 

はい、少し長かったですね。

 

簡単に言うと、王であった勾践が呉に捕まって苦渋の決断で配下につくのですが、その時に苦い肝をなめて、つらい時期を乗り越えて越を復興させる時を待つ、ということだそうです

 

そう、辛い時があってもその先に良い未来が有るかもしれないということですね

 

なんというか、この時代の人の国に賭ける覚悟っていうのはすさまじいなと思わされるエピソードでした

 

 

 中国4000年の歴史とも言われる通り、中国史は栄枯盛衰が繰り返されてきた、また多くの血を流してきた文化です

他の国でも大体そうなんですが

孔子、孫氏など超優秀な戦略家が多く生まれているのは、戦争がたくさん起きてきた、ということが理由であると考えています

 

今の時代で言うとこれは経済戦争なのかなと思いまして

とりわけ今で言うと国同士、と言うよりは各会社、更に言うと今後の自分たちが主戦場となれる、なるのはスタートアップではないかと考えました

 

技術力=武力というのが今の時代と違う、ということ以外後はほぼ同じ

技術力もさることながら最も大事なのは戦略の方なのかな、感じました

 

…ミーハーなので、この本を読んですごく知将になりたいと思ったのでもっと勉強しようと思います

 

ちゃんちゃん